2020.06.08

旧著再読

井上ひさし『ボローニャ紀行』(文藝春秋、文春文庫、2010年刊)

地方支局勤務を終えて東京に戻った30代以降、記者としての自分の仕事(取材)の対象分野(幸いにも自らの関心分野)は徐々に地方自治、まちづくり、交通と広がり、関心を寄せる国もドイツ語圏から、古代ローマ以来の圧倒的に長い歴史を持つイタリアへと広がっていった。
イタリアのまちづくりに興味を持ち、イタリア各地を1人で旅するようになってから手にとったのがこの本、ボローニャ紀行だった(2008年に文藝春秋から単行本刊行、2010年に文庫本刊行。いずれも購入したが、読 み始めたのは文庫本)。

2年前に3カ月間のイタリア語留学の地にボローニャを選んだのも、この本が何かしら影響したと思う。

井上ひさしの本は正直なところ、それまではあまり読んだことはなかったが、ボローニャという地名に惹かれた。
井上ひさし自身、2003年に初めてボローニャの土を踏むまでに彼の地に30年にわたり恋をし、ボロー ニャの歴史やまちづくりなど関係ある様々な本や文献を読み漁ってきたという。

ボローニャは世界最古の大学、ボローニャ大学を中心に発展してきたイタリアを代表する古都だ。ま た、モーツァルトも愛したオペラなどの音楽都市、共産党支配が長く「La città rossa」(赤のまち)と呼ばれ、第2次世界大戦末にはドイツ軍と戦ったパルチザンの拠点、戦後は食料品をはじめとする様々 な製造機械を製造する産業都市としても知られる。
イタリアで最も豊かなエミーリア・ロマーニャ州の州都でもあるが、イタリア語でコリーナと呼ばれる丘 に囲まれた暮らしやすい生活都市だ。

1970年代以降はチェントロ・ストリコ(歴史的中心街)の再生によるまちづくりで世界的に有名になった。それまで、ボローニャに限らず、日本を含め世界中の都市の中心街は古臭く、犯罪の温床にもなり、それまで住んでいた人は高齢化し、また郊外に移転するようになっていた。その流れに歯止めをかけるため、歴史的な建物や地区を保全しながら、もう一度、そこで住んで商売したくなるようなまちに再生 したのがボローニャだった。
また、劇場や映画フィルムの再生拠点、音楽など文化産業の振興によるまちづくりにも力を注いだ。そ れがボローニャ方式として世界中から注目されるようになった。

さすが作家だけあって、そうしたボローニャの町が歴史や建築、文化、産業など色々な断面から、そこ に住む人々の息遣いが読者に伝わるように、町とそこに住み続ける人々が鮮やかに描かれている。
30年にわたるボローニャ研究に加え、噛んで含めるような作家井上ひさしの文章力のおかげで、この 本を読めば、ボローニャの町の歴史も手に取るように分かる。
ボローニャを旅することがあれば、ぜひ行く前に読むことをお勧めする。また滞在中は本を片手に町を 歩き、帰国後も読み返すと、またこの本、あるいはボローニャの魅力は倍加すること間違いなしだ。私 は確かこれまでにこの本を2回読んだが、この文を書くため、改めて読み返してみたところ、結局留学 中に訪れなかった産業博物館の存在など新しい発見が色々とあった。

この本にはまた、深みのある言葉やフレーズもたくさん散りばめられている。
中でも一番好きなのが、ボローニャ商工会議所の副会頭さんが言ったという次のフレーズだ。
「みんな人間、だから汚いこともやります。けれども自分は汚いと自覚するところがまさに市民的な徳と いうやつで、そこに救いもあるわけですな。とにかく、自分はここに生まれてよかった、ここで恋をし、ここで子供を育て、ここで死ぬことができて幸せだった。そう思えるような街をみんなで作りあげること、それが自治なのではないかと思いますよ」

地方自治やまちづくりについて何百何千の書を読むより、腑に落ちる言葉だ。
こうした言葉を引き出した井上ひさしという作家は、自治やまちづくりの本質を掴み取る優れたまちの 哲学者でもあったと思う。

統括研究主幹 市川 嘉一 (2020.6.8記)

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