2020.05.31
岡 並木『都市と交通』(岩波新書、1981年刊)
買った時はあまり読まずにそのまま積読状態だったのに、だいぶ経ってから感動して読むようになった本というのは誰しもあるはずだ。私にとって、そうした本の1つが岡並木さん(1926〜2002年』の『都市と交通』だ。
岡並木さんとは亡くなる前の5年ほど、お付き合いをさせて頂いた。長年、日新聞の編集委員として、ほぼ毎年出かけた海外取材など豊富な取材経験をもとに都市交通を中心に啓蒙的でしかも分かりやすい文章を多数書かれた優れた先達ジャーナリストとして、今でも尊敬している方だ。自分の父親より一つ上だから、余計親しみも感じていた。
この本を買ったのは1980年代前半、大学の確か2年に受けた授業科目「都市論」で指定図書の1つになっていたからだが、当時は正直あまり関心がなく、ほとんど読んだ記憶がない。
ただ、今手元にある本は奥付には1984年11月20日の第5刷発行とあるので、大学を卒業した年(1984年)以降に再び購入したのだろうが、残念ながらこれも記憶がない。
それから10数年後、当時、仕事でまちづくりの取材に本格的に取り組むようになった時、改めて手に取ったのが、この本との本当の出会いになった。
1990年代半ばまでは、私には基本的に交通イコール乗り物というイメージがあり、少なくとも取材対象としては交通にはあまり関心がなかった。
1994年に公共交通ネットワークの強化ですでに有名だったフライブルクなどドイツの都市も取材していたが、まちづくりの観点から掘り下げるまでには興味が至らなかった。
しかし、1998年に中心市街地活性化法が制定・施行されたのを受けて、その年、取材出張で改めてまちづくりの先行事例を求めてヨーロッパを訪れると、中心市街地の衰退を招くなど行きすぎたクルマ社会を是正するために、まちづくりとして新たに路面電車を導入したり、歩行者専用ゾーンを拡大したりと交通問題に取り組む動きがヨーロッパの都市に広がっている実態をつぶさに見ることになった。
日本を出発するまでは日本にはない中心市街地活性化の処方箋はタウンマネジメントなどソフト施策にあると思い込んでいた。間違いではなかったが、むしろ、まちづくりの中心テーマはクルマ社会を見直すための交通問題だった。
『都市と交通』が書かれたのは1981年。このヨーロッパ取材に出かける17年前にすでに、こうした視点から交通問題を捉えていた。
今読み返しても充分通用する内容だ。各章のタイトルを見ても、「歩行者の視点から」、(第1章)、「バスはよみがえるか」(第2章)、「使いにくい公共交通網」(第3章)、「自転車を生かせる都市」(第4章)など、今でもなんら違和感がない。
残念ながらか、こと交通をめぐる状況は根本的なところでは、少なくとも日本ではあまり大きくは変わっていないと言えるかもしれない。
示唆的な言葉もたくさん散りばめられているが、全体を貫くキーワードは「移動の連続性」だ。交通のキモを移動の連続性と捉える。出来るだけスムーズに、しかも安く移動できることだが、現状は至るところに非連続的な壁があると指摘する。
今でもシームレスという言葉が交通問題のキーワードに使われている通り、本質的なところはあまり変わっていない。
岡さんの文章はまさに新聞記者らしく平明で分かりやすいが、さらに話し言葉のように語り口が実に滑らかなので、知らぬうちに引き込まれてしまう。終生の親友だった安藤孝さんが岡さんを偲ぶ文に書いているように、「文章の巧みさと語り口の滑らかさ」が岡さんの文章の魅力だ。
本書はわずか220ページあまりの新書だが、今でも読み応えのある内容だ。私も岡さんが亡くなった直後の2002年春に初めての単著『交通まちづくりの時代』を出した。まだ病院に入る前、肺気腫で自宅療養中の岡さんに本の宣伝用チラシに載せる推薦の言葉を書いて頂いたのも、今では貴重なものと感謝している。
岡さんとは短いお付き合いだったが、忘れないエピソードが少なくない。最後に思い出を少々。
大のタバコ好き。亡くなる数年前に飛行機内が禁煙になったので、もう海外には出かけないと諦めていた。亡くなる前、肺気腫になり、タバコをやめていたが、私は当時まだタバコを吸っていて、岡さんのご自宅でも遠慮なく吸っていたら、煙を嗅ぎたいと私のところまで近づき、「いい匂い」と鼻をクンクンとさせていた。
また、乗り物のミニチュアのコレクションも。世界最初の蒸気機関や、飛行機など取材先の海外て買った珍しそうな模型が自宅のリビングにあったショーケースに飾っていた。それが、遺作となった「僕のミニミニ博物館」という雑誌連載記事に繋がった。ミニチュアごとに大きな写真を入れて模型の現物の由来や仕組みなどを解説したユニークな内容。未完に終わったが、10数回は書き続けていたので、充分本にまとめられると思う。
最後に、ジャーナリスト岡並木の真骨頂について。
先に安藤さんが述べているように、ジャーナリストとしての岡さんの真骨頂は、文章の巧みさと語り口の滑らかさに加え、裏付けを取るためのしつこさだ。
岡さんは都市と交通に関する独自の年表づくりにも力を入れていた。かつて私の勤務先の新聞社で講演してもらった時にレジュメとして頂いた戦後の都市・交通関係年表が、私の手元にもある。一つ一つ丹念に調べた細かな出来事がワードで打ち込まれている。
驚いたのは、そうしたしつこさは取材でも発揮されていたことだ。そのことを数年前に岡さんの後輩にあたり、朝日新聞の一面コラム「天声人語」を書き続けた元朝日新聞記者の辰濃和男氏が書いた『文章の書き方』(岩波新書)で知った。
沖縄の今帰仁城跡の階段を取材した際、長い階段なのになぜか疲れないなと岡さんは思った。普通だとそこで終わるところだが、岡さんは日を改めてまた階段を上り、また3回目に訪れた時に「五段上ると踊り場がある、七段上ると踊り場がある、という具合いで、そのうえ、階段の数は三、五、七のこころよいリズムの繰り返しになっている。踊り場があるから知らぬ間に足を休め、まわりの景色を観賞しているうちに上りつめる、という仕組みになっている」ことに気づいたというのだ。
「この石段の秘密を探るために3回も現場に行ったのは岡並木の並々ならぬ好奇心」とし、「この好奇心の結果、ふしぎな階段のことが紙面を飾ることになり、沖縄の先人たちの遊び心が現代によみがえった」と評価している。
このしつこさ。ジャーナリストにとりわけ求められるものだが、なかなか出来るものではない。岡並木さんは単なるストーリーテラーではない、現場を大事にした第一級のジャーナリストだったと思う。自戒を込めて、改めて見直している昨今だ。
統括研究主幹 市川 嘉一 (2020.5.31記)