2020.05.17

旧著再読

高坂正堯『世界史を創る人びと—現代指導者論』(日経新書、1965年刊)

大学に入る前、おそらく中学・高校時代だったか、NHKの日曜日朝の政治討論番組などに、この方、政治学者の高坂正堯(1934年〜1996年。すみませんが、以下敬称略で)がよく出ていたのを憶えている。

「それですな。違いますのや」など、何とも言えない物腰柔らかな京都弁で、該博な歴史知識に裏付けられた骨太の日本政治や国際政治論を語っていた。一緒にお茶の間のテレビを囲んでいた両親がよく高坂の発言になるほどと頷いていて、自分も当時から何となく親し みを感じる数少ない学者だった。

大学で社会科学系の硬派サークルに入ってからは、若干33歳で書き上げた彼の名著で今なお中公新書のロングセラー『国際政治』や、『海洋国家日本の構想』、成熟した40代後半の書『文明が衰亡するとき』などを自ら定例の読書会のテキストに選び、彼の考えの素晴らしさを仲間に得意げに語ったりした。

高坂の考えの基調は一言で言えば、深い人間理解に基づいた悲観的楽観主義だと思う。古今東西の歴史や文学を自家薬籠中のものとした上で、現実主義に立ちながら、善悪を超えた人間・社会への深い洞察に裏付けられた政治・文明論を味わい深い言葉でもって我々に語りかけてくれた。先の『国際政治』の最後にはチェーホフの短編『往診中の一事件』を引用しながら、人間の限界を自覚しながら希望を持つことの重要性を静かに語っている。

彼の本はだいたいのところ読んだつもりだが、こうした文学的ともいえる考え方が初期の作品から大きな幹として貫かれていると思う。
25歳の若さで京大法学部助教授に就任し、20代から、メディアに颯爽とデビューした有名な論文「現実主義者の平和論」をはじめとした論考でこうした老成ぶりを発揮していたのだから舌を巻かざるを得ない。まさに脱帽ものだ。

文学を愛していた高坂だが、中でもチェーホフはお好みだったようだ。どの本だったか忘れたが、やはりチェーホフの言葉を引きながら、戦争中でもその時代に生きた人間にとっては決して暗い時代ではなく、日々の暮らしの中で家族や仲間と喜び泣いたり、あるいは恋もするなど、ささやかな幸せがあったのだということを述べていたのを読んだ時は、いたく感激したもので、今でも滋味あふれるフレーズとして深く印象に残っている。

そうした深い人間観や社会観に裏付けられた最初期の本の一つが、『国際政治』の1年前、1965年(昭和40年)に当時の日経新書(今は廃刊)のひとつとして出された『世界史を創る人びと—現代指導者論』だ。私がまだ小学校に上がる前の頃の出版だ。

この本はあまり知られていない高坂の本の一つで、高坂の本をかなり読んでいる人でも読んだ方は少ないかもしれないが、隠れた名著だと思う。
私にとって学生時代、長い間、神田の古本屋街を探し回ったが、そもそも刷り部数が少なかったのか、なかなか見つけられずにいたが、しばらく経ってからやっと見つけられた思い出の本である。

フルシチョフ、ケネディ、ドゴール、毛沢東など当時の指導者6人の政治を俎上に乗せながら、「巨人」的な指導者がいなくなった後の「平凡な時代の政治」の始まりを冷静な筆致で語りかけている。
たいていの本がそうだが、まえがきに著者の最も言いたいことが書かれている。

少し長いが、そのまえがきの一部を引用したい。

…普通の人間にとっては
「偉大さは、それは恐ろしいものだ」
ということができるであろう。それは普通の人間を彼には異質の論理とスタイルにまき込むからだ。それゆえ、人はよく偉大な人間を引き下し、彼の欠点を暴き立てて、彼もまた同じ人間であるという心理的保証を得ようとする。
しかし、それほど愚かで、かつ危険なことはない。なぜなら、
「偉大さは、やはり輝かしい」
からであり、人は「輝かしいもの」をつねに求めるからである。だから、偉大さを簡単にけなす人々は、また、偉大さに簡単に魅せられる人々でもある。
偉大さは、その輝きと、恐ろしさと、悲しさを真に理解することによって、初めて克服することができる。
また、そうすることによって平凡な政治の価値を認識することができる…

書かれてから55年経った今、読み返しても含蓄のある深い言葉であることに改めて驚かされる。高坂はやはり、単なる政治学者を超えた第一級の文明史家だと思う。

余談だが、後年、私はその新書を出した新聞社に勇躍入社し、1990年代前半、経済教室面担当の編集者として高坂に具体的なテーマは忘れてしまったが、その時の日本政治の課題について原稿を依頼した。
ファクスで送られてきた玉稿に、緊張しながらご自宅に電話でお礼を言うと、「あとはお任せしますわ」との簡単な返答。果たして、原稿をチェックしても完全原稿で、直すべきところは一切なし。他の有名な学者先生でも初校直しでいっぱい赤字を入れてくるのに半ば馴れてしまっただけに、さすがは高坂先生と改めて感激したことを今でも思い出す。

ちなみに、その少し前に生まれた長男の名前を、高坂の名前の堯の字をとって、尭史(たかふみ。画数の関係で堯は簡略字)と名付けた。

統括研究主幹 市川 嘉一 (2020.5.17記)

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