2021.01.08
コロナは都市をどう変えるか ――パンデミックの歴史に学ぶ
How Coronavirus Will Change Cities, Lessons from the History of Pandemics
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■「命と経済」の両立はルネサンス期から続く問題
コロナ禍1)の中、パンデミックの歴史に関する本をよく読むようになった。なかでも、14世紀に当時の中世ヨーロッパの人口の3分の1以上を死に追いやったペストの時代は興味深い。感染拡大防止と経済活動の両立に腐心する行政当局の姿や、感染者の急増で収容能力を超えてパンク状態になった隔離施設の実態など今と重なる事柄が多く、思わず引き込まれる。さらに、極端な人口減による封建制度の崩壊や、不治の病を前に無力なカトリック教会の権威失墜によりルネサンスという新たな時代の扉が開くなど、ペストが社会の変化を加速させる引き金になったという事実も考えさせられる。これまで遠い世界の話と思ってきた感染症の歴史が実にリアルに感じられる。
感染拡大の防止と経済活動。世界的に有名な経済史家だった故カルロ・チポラ(1922~2000年)の『ペストと都市国家―ルネサンスの公衆衛生と医師』2)は、このトレードオフとも言える両者の関係が実は今に始まったわけではないことを当時の史料を用いて教えてくれる。
同書によると、既にペストの流行拡大に直面していた14世紀前半以降のルネサンス期イタリアでは主な都市国家ごとに検疫や感染地域での交通の遮断、隔離施設の設置、違反者の逮捕・処罰など広範な業務に取り組む公衆衛生機関「衛生局」(イタリア語でSanità)が世界に先駆けてつくられていた。
この公衆衛生局はペスト感染の拡大に歯止めをかけるために、国家から与えられた強大な権限をもとに今と同じように外出制限などの厳しい規制策を実施。それに対し当時の市民や商業者らの反発を買いながらも、公衆衛生と経済のバランスに心を砕いていたことが当時の史料をもとに具体的に描かれている。
例えば、こんなくだりがある。
「衛生官たちは、衛生上の措置によって利益が損なわれる多くの人々の広範な敵意にも直面しなければならなかった。しかし何といってももっとも重要なのは、衛生官たちが自身の内面において闘わなければならなかったことである。すなわち、公衆衛生上の利益が、衛生官たちが奉仕すべき対象である共同体の死活を制する経済的利益と激しく衝突したからである。多くの場合に衛生官が職務上の立場を妥協させた動機の一つに、公衆衛生上の方策を厳密に適用すると、経済に多大の損失が生じることを理解していた点があげられる。」
衛生局を現在の国・都道府県と置き換えれば、まさに「昔も今も」といった状況だ。
今回の新型コロナはワクチンや治療薬が開発されれば、いずれ終息するといわれるが、新たなウイルスが人類を脅かす恐れもあると指摘されている。それだけにウイルスをめぐる公衆衛生と経済の間での抜き差しならぬ関係が今後も生じる可能性があることは覚悟しなければならないだろう。
ペストはチポラが描く14世紀から16世紀にかけてのルネサンス期だけでなく、その後の17世紀から18世紀にかけての近世にも再びヨーロッパで猖獗を極めた。ダンテの『神曲』と並んで、イタリアを代表する国民文学として知られる文豪アレッサンドロ・マンゾーニ(1785~1873年)の名作『いいなづけ〜17世記ミラーノの物語』3)は副題の通り、17世紀前半(1630〜1631年)の北イタリアのミラノ地方を舞台に、結婚を誓い合った田舎の若い男女が苦難の末に結ばれるまでを当時の社会・文化などを背景に描いた大河歴史小説だが、当時ミラノ地方を襲ったペストの怖さがほぼ史実に基づいて描かれている。
該当箇所のある下巻には、ペストの感染防止に向けた衛生局の取り組みに対する民衆の無理解、さらには感染者急増で隔離施設が収容能力を超えてパンク状態になったり、当局が隔離などのための人手やカネの工面に困ったり、果てはペストに罹ったことを隠すためのデマの横行等々、こちらも今と重なる話が次々に展開される。感染症をめぐる社会や人々の意識,行動は昔も今もそれほど変わっていないことに驚かされる。